立山開山伝説(小学生用)

立山開山伝説

成人 儀礼 ぎれい としての立山登山

(3) 男子成人 儀礼 ぎれい としての立山登山

かつて、 富山 とやま では県東部を中心として、 若者 わかもの は、 早くは15 さい から、 おそくとも18 さい までに立山まいりをすべきだといわれていました。 そういう風習がいつごろから始ま ったのかはっきりしません。 しかし、 江戸時代 えどじだい 初期に、 芦峅寺 あしくらじ で、 立山開山伝説の あるじ ったのかはっきりしません。しかし、 江戸時代 えどじだい 初期に、 芦峅寺 あしくらじ で、立山開山伝説の主人公が、 国司 佐伯 さえき 有若 ありわか から、 そのむすこ16 さい 有頼 ありより に変わったのは、 そのころすでに男子が16 さい になると立山に登る 習慣 しゅうかん があって、その 習慣 しゅうかん を取りいれたからだろう、と考える学者もいます。 明治の 廃仏毀釈 はいぶつきしゃく ( 仏教 ぶっきょう に対する 迫害 はくがい 運動)で立山 信仰 しんこう 打撃 だげき を受けたのに対して、 成人 儀礼 ぎれい としての 立山登山の風習は 仏教的 ぶっきょうてき 色彩 しきさい がなかったので、明治 以降 いこう にわかに 脚光 きゃっこう をあびるようになったといわれて います。 富山 とやま 県史や各市町村史の記録をみると、明治・大正期にも身を清め、 新しい 白装束 しろしょうぞく に身を包んで立山に登っている例が多くみられます。 このことから、 明治・大正になっても、 山を せい なる場所と かんがえ えていたことがわかります。 また、 無事に帰ると、 氏神 うじがみ にお礼まいりし、 家族親類うちそろってお祝い をしていることから、 立山登山が一大行事だったこ とがわかります。
男子成人儀礼としての立山登山


(4) そして今

かつて、 富山 とやま では県東部を中心として、 若者 わかもの は、 早くは15 さい から、 おそくとも18 さい までに立山まいりをすべきだといわれていました。 そういう風習がいつごろから始ま ったのかはっきりしません。 しかし、 江戸時代 えどじだい 初期に、 芦峅寺 あしくらじ で、 立今では、 修行 しゅぎょう 成人 なると 儀礼 ぎれい として立山 登山をするということはほとんどなく なりました。 しかしその代わり、 学校 行事として立山登山を行うところが多 くなりました。 しかも、 交通の便がよくなったこともあって、しだいに 低年齢 ていねんれいか 化が進み、 昭和40年代には、 富山県 とやまけん の半数以上の小学校で行われるように なりました。 その後一時期、 危険 きけん をともない、天候で予定がくるいやすいと して 減少 げんしょう していきましたが、 最近また 増加 ぞうか しつつあるそうです。 自然体験の良さが見 直されてきたようです。 昔の人は、 かみなり 突風 とっぷう などの自然 現象 げんしょう 妖怪 ようかい のしわざと考えたり、火山活動でできた風 景を 地獄 じごく と見たてたり、 ブロッケン 現象 げんしょう 阿弥陀 あみだ 如来 にょらい 来迎 らいごう と思ったりしたことからも わかるように、 山で体験する自然 現象 げんしょう 神仏 しんぶつ の働きを感じとって きました。 今、 そのように感じる人はほとんどいないでしょう。 しかし感じ方は変わっても、山は今も、人びとにとって新しい発 見の場であり、 自分を成長させる場となっているのでしょう。 子どもたちに立山登山をすすめるときに、 必ずといってもよいくらい出てくるのが 佐伯 さえき 有頼 ありより の話です。 少年 有頼 たのみ の立山開山伝説は 越中 えっちゅう 少年の ゆめ をはぐくみ、 また ぎゃく に少年たちの ゆめ が有 たのみ 伝説を育てあげてきました。 平成13年(2001) 呉羽 くれは 山山 いただき に、少年の 有頼 ありより ぞう が建ちました。 有頼 ありより の立山を指さす 姿 すがた には、数多くの先人の思いが められて います。
そして今
有頼像

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