立山開山伝説(小学生用)

立山開山伝説(小学生用)音声動画はこちら:

りに出る 有頼 ありより ・・・立山開山伝説①

  大宝 たいほう 元年(701) 時の 天皇 てんのう ゆめ のなかに、 阿弥陀 あみだ 如来 にょらい があらわれ、「いま、 越中 えっちゅう の国は 人びとの争いがたえず、人びとは苦しい生活を している。 四条 しじょう 大納言 だいなごん 佐伯 さえき 有若 ありわか を国守にして 治めさせれば、必ず、平和で ゆた かな国になるだろ う」とお告げになりました。 さっそく 天皇 てんのう は、 有若 ありわか せ、 すぐに 越中 えっちゅう におもむき、国を治めるようお命 じになりました。 有若 ありわか は、 息子 むすこ 有頼 ありより とともに、 越中 えっちゅう 保伏山 ほふせやま (今の黒部市犬山のあたり)に うつ みました。 ある日、 東南の方から一羽の 白鷹 しらたか が飛んできて、 有若 ありわか の手に止まりました。 有若 ありわか は 「これはきっと何か よいことがあるにちがいない」とたいへん喜び、 大切に育てることに しました。 ある日、 有頼 ありより が父の 白鷹 しらたか をこっそり連れ出して りをしていると、 突然 とつぜん 白鷹 しらたか が遠くへ飛んで行ってしまいました。 有頼 ありより が必死に 白鷹 しらたか さが し回っていると、 森尻 もりじり 権現 ごんげん があらわれて「東南の方を さが せ」と教え てくれました。 教えにしたがって山の方に入っていきましたが、日 が れたので岩の間に野宿することにしました。  
狩りに出る有頼

くま を追う 有頼 ありより ・・・立山開山伝説②

  翌朝 よくあさ 岩峅寺 いわくらじ の森に入っていくと、ひとりの老人が右手に けん をさげ、左手にじゅずを持ってあらわれ、 「コラッ 若者 わかもの 、お前は だれ だ、何の用があってこの森に入り ごめ んだか」と問いかけてきました。 有 有頼 ありより が、 「はい、 わたし 佐伯 さえき 有頼 ありより と申します。 じつ は父が大事にしていた 白鷹 しらたか がしてしまいましたので、それを さが しにまいったの でございます」 と答えると、 老人はしだいに やさ しい顔になり 「その 白鷹 しらたか ならば、こ の先の 横江 よこえ の森にいる」と教えてくれました。 「あなたは だれ ですか」と問い返すと、 「この山の 刀尾天神 たちおてんじん である」と答えて 姿 すがた を消しました。 さてはこの山の神かと、うやうやしく頭をさげ、なおも山に入っていくと、 突然 とつぜん 大きな くま があらわれ、 有頼 ありより をめがけて おそ いかかってきました。 有頼 ありより がすばやく矢を 放つと、矢はみごとに くま むね の月の輪のところにグサッとささりました。 くま は血を点々とたらしながら、山間をぬって げていきました。 「 がしてなるものか」と、 有頼 ありより はもう 夢中 むちゅう になって、 くま のあとを追いかけて山中に入っていきました。
熊を追う有頼

阿弥陀 あみだ 如来 にょらい との出会い・・・立山開山伝説③

   くま がたらした血のあとをたどっていくと、 室堂 むろどう 近くの 玉殿 たまどの の岩屋という 洞窟 どうくつ に着 きました。 「しめたぞ、この 洞窟 どうくつ くま の住みかだな」 有頼 ありより がそっと おく の様子をうかがうと、 やみ の中からパッとまぶしい光が目に んできました。 有頼 ありより おどろ いてよ く見ると、そこには くま でなく 阿弥陀 あみだ 如来 にょらい 姿 すがた が見えました。 しかも、 阿弥陀 あみだ 如来 にょらい むね には自分の放った矢が立っていて、 血が流れていました。 有頼 ありより はあまりのできごとに おどろ いているうちに、 つか れも出てきて ゆめ うつつの 状態 じょうたい になりました。 その ゆめ うつつのなかで ほとけ のお告げがあって 「 わたし は、けがれた世の人びとを救うために、この山に 地獄 じごく 極楽浄土 ごくらくじょうど もすっかりとりそろえて、 お前を待っていたのだ。 父の 有若 ありわか 越中 えっちゅう 国守にしたのもそのためであり、 剱岳 つるぎだけ 刀尾天神 たちおてんじん 白鷹 しらたか 姿 すがた を変えたり、 わたし くま 姿 すがた を変えて、お前をここまで みちび いてきたのだ。お前は本当に力強い たよ りになる男だ。 どうかこの 霊山 れいざん に道を開いて、 だれ でも山に登られるよ うにしてほしい」 と命ぜられました。 感激 かんげき した 有頼 ありより は、いったん下山して、 慈朝上人 じちょうしょうにん というえらいお ぼう さんから教えを受けて そう となり、 慈興 じこう と名のりました。 そして立山を開き、 立山 大権現 ごんげん の大宮などを建て、立山 信仰 しんこう を広めたといわれています。
(この開山伝説は、 江戸時代 えどじだい の 「 和漢三才図会 わかんさんさいずえ 」の中の 記述 きじゅつ をもとにしています。)
阿弥陀如来との出会い



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